■小沢郁郎年譜(抄)

T.14(1925)  02月 埼玉県所沢町にて五人兄弟の次男として出生(姉、兄、妹、弟あり)
S.06(1931)  04月 所沢小学校入学
S.12(1937)  04月 埼玉県立川越中学校入学(7月日中戦争勃発)
S.18(1943)  04月 清水高等商船学校入学
S.20(1945)  09月 敗戦により繰上卒業 船舶運営会第三課(三井船舶系)配属
S.21(1946)  10月 私立正明中学校常勤講師(乗船待機中)
11月 乗船勤務
S.22(1947)  09月 再び正明中学校常勤講師
S.23(1948)  03月 船舶運営会を退職
04月 東京大学文学部西洋史学科入学
S.24(1949)  04月 埼玉県立川越高校定時制所沢分校講師
S.26(1951)  01月~05月『破魂』執筆
03月 東京大学文学部西洋史学科卒業
04月 埼玉県立飯能高校教諭
S.28(1953)  06月 東京都立千歳高校教諭
S.30(1955)  08月 結核療養のために休職
S.32(1957)  09月 東村山保生園で左肺上部切除手術 療養後に復職
S.33(1958)  12月 結婚(結婚後は二男一女を儲ける)
S.35(1960)  06月 安保闘争クライマックス、恢復しきらぬ体で連日デモに参加 「ソヴィエトの “満州事変に関する不干渉声明” について」(『昭和35年度東京都立高等学校社会科研究協議会研究報告書』)
S.38(1963)  「満州事変期におけるソヴィエトの対日不可侵条約提案前後」(「1963年東京都立千歳高等学校紀要第1集」)
S.40(1965)  「切手も教材」(山川『歴史と地理』44号)
S.44(1969)  04月 都立府中高校教諭
S.45(1970)  「三段かい船考」(山川『歴史と地理』63号)
S.46(1971)  「満州事変期・ソ連邦の対日方策」(山川『歴史と地理』68号)
S.47(1972)  「教材としての切手」(山川『歴史と地理』73号)
「満州事変期におけるソ連邦の対日方策」(「政治経済史学」82・83号)
S.49(1974)  「私のガンコ方式」(山川『歴史と地理』79号)
「二・二六事件への視点」(『政治経済史学』100号)
「宋代軍事史小論」(『政冶経済史学』103号」
S.50(1975)  「天保改革への斜視線」(『政治経済史学』115号)
S.51(1976)  「阿部政権期の海防について」(『政治経済史学』117号)
「侵略戦争の論理」(『政治経済史学』121、122号)
「特攻隊論」I(『政治経済史学』127号)
「毎日新聞社『帆船時代』」(山川『歴史と地理』89号)
S.52(1977)  「特攻隊論」Ⅱ・Ⅲ(『政治経済史学』128、129号)
「ユーウツなる季節」(山川『歴史と地理』91号)
S.53(1978)  『破魂』(刀水書房)
『特攻隊論』(たいまつ社)
08月 『破魂』・『特攻隊論』出版記念会
「帆船の航路について」(山川『歴史と地理』97号)
S.54(1979)  01月 53年12月~ ネバール・トレッキング 「ネパール印象紀」(山川) 「シェルパTの『弁明』」執筆
10月 『青春の砦』(新潮社)
11月 青年劇場の瓜生正美氏から『青春の砦』劇化の話あり
S.55(1980)  07月~08月 第5次地図の友日中友好使節団に参加 「訪中日録」(山川『倫社・政経研究』140号)
09月 青年劇場『青春の砦』第1回公演※
※注)「早稲田大学演劇博物館 現代演劇上演記録」では、青年劇場『青春の砦』第1回公演は1978年9月。
S.57(1982)  03月 定年まで3年を残して都立府中高校退職
S.58(1983)  『径(こみち)―小澤俊郎遣文抄※』(刀水書房) ※注)小澤俊郎は4歳年上の兄。3月に京都にて死去。
『つらい真実・虚構の特攻隊神話』(同成杜)
『回想 青春の砦』
S.59(1984)  02月 眼底出血の診断を受け禁酒禁煙となる
『焉支花』(同成社)
『帝国陸海軍事典』(同成社)
08月 脳出血により永眠 享年59歳
S.60(1985)  『シルクロード異聞』(同成社)
『世界軍事史』(同成杜)
H.01(1989)  追悼文集『還らざる航跡を 郁郎余聞』(同成社)
H.06(1994)  追悼文集『続・還らざる航跡を 郁郎余聞 Ⅱ 』(刀水書房)

資料:『続・還らざる航跡を 郁郎余聞 Ⅱ 』編者 野村乙二朗(刀水書房)



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